高宮ぶろぐ

鉄道・旅行に関する個人的な記録です。

春陽かえすコルゲート

2026年4月12日(日)

 

何でもない日曜日である。
どこか遠くへ行きたくて、東上線のときわ台駅に来てみた。券売機に向かい、東上線と秩父本線の一部が乗り放題となる「SAITAMAプラチナルート乗車券」を買った。あてもない旅だが、このまま東上線を北上することにした。

 

ホームに滑り込んできたのは、東上線の生え抜きである9000系。7時14分発の池袋行。
今や風前の灯火となった、電機子チョッパ制御特有の「プー」という音が床下から聴こえてくる。池袋に到着すると、列車はそのまま準急川越市行になる。私はそのまま身を委ねる。

 

川越市で8時30分発の快速急行に乗り継ぐ。
車内を見渡すと、大きな荷物を背負った登山客の姿が目立つ。車窓には、徐々に武蔵野の瑞々しい緑が広がり、重い雲は晴れていった。

 

小川町で向かいのホームに止まっている寄居行に乗り継ぐ。東上線の末端区間は今も8000系が頑なに守っている。9時09分に発車。

 

寄居で秩父鉄道に乗り換える。元東急8090系が来た。この路線では最大勢力を誇る車両である。9時31分の影森行には、行楽客と地元の客が半々くらい乗っていて、3両編成の座席はほどよく埋まっている。

 

私は秩父鉄道には何度も足を運んでおり、ほとんどの駅で降りたことがあるが、わずかに塗り残している駅もある。そのひとつ、秩父駅のひとつ手前にある大野原駅で降りてみた。

 

当駅には交換設備を有する対向式ホームがある。静かな無人駅だが、列車が来ると片手では数えきれないくらいの乗降がある。

 

やがて古い構内踏切が鳴動する。列車の音が山に反響して聴こえてくる。10時27分発の三峰口行でさらに先を目指す。

 

御花畑駅で下車。日曜日とあって、駅周辺はすでに多くの観光客で活気づいている。

 

出汁の匂いに誘われて、駅前の立ち食い蕎麦屋に入る。

注文したのは、秩父特産の「しゃくし菜漬け」をあしらった一杯。もっさりとした昔ながらの茹で麺に、しゃくし菜の塩気と酸味が絶妙に絡み合う。

 

さて、腹を満たし、10時58分発の長瀞行に乗る。車両は西武から直通の4000系である。秩父鉄道線内の普通列車では珍しくクロスシートを備えている。

車窓を流れる景色を眺めながら、次なる下車駅を時刻表と睨みながら探したが、巡り合わせの悪さゆえ、またしても大野原駅で降りる羽目になってしまった。

 

しかし、退屈する間もなく反対方向の列車がすぐに来る。11時11分発の三峰口行に乗る。

 

列車は荒川を渡る。視界が開けて車内が明るくなる。

 

やがて隣の秩父駅に着いた。行き違いのためしばらく停車していると、対向のホームに元都営三田線の6000形が来た。

今や極めて希少な同車だが、中でもこの第2編成は落成当時の赤帯を纏う復刻仕様である。せっかくなのでこちらに乗り換える。

車体側面に並ぶ艶やかなコルゲートが、秩父の日を反射して、ぎらりと輝いている。11時20分発、至高のステンレス車体がゆっくりと動き出す。

 

1時間ほど揺られ、こちらも未訪問だったふかや花園で降りた。当駅は2017年に開業した、秩父本線で最も新しい駅である。

コンクリートも真新しい近代的なホームから、武骨な老兵が走り去っていく。見えなくなるまでその姿を見送っていた。甲高いモータ音と重厚なジョイント音だけが平野の空に響いていた。

 

駅前には大型商業施設が広がり、地方のローカル線には珍しく若い乗客の姿が目立つ。そんな賑わいを背に、12時48分発の影森行に乗り込み、来た道を折り返す。

 

揺られること数分で寄居に戻ってきた。ここから再び東上線を南下していく。まずは13時18分発の森林公園行である。途中の小川町で部活帰りの高校生が乗ってきて、4両のワンマンカーはにわかに超満員となった。

 

森林公園で快速急行に乗り換え、坂戸で降りた。ここからは未乗のままだった越生線に乗ってみる。車両はここでも8000系の4両である。14時19分発の越生行は、それなりの乗車率で走りだす。

 

終点の越生には20分足らずで着く。最近のローカル線ターミナル駅の流行に倣って、新しい和風の駅舎である。

 

越生線は東武の支線としては運行本数が多く、日中でも15分間隔で走っている。せっかくだからこれを有効活用して、いくつかの途中駅にも降りてみることにした。14時54分に越生発。

 

二つ隣の東毛呂駅で下車。駅周辺はいたって普通の住宅街という雰囲気である。

 

15時03分発の下りで一駅戻る。

この武州唐沢駅もいかにも東武の小駅という佇まいで、モダンながら簡素な造りである。

 

15時11分発で坂戸に戻る。かつてのツートンカラーを復刻した8000系が来た。

坂戸で待っていたら9000系が来たのでこれを捕まえた。15時38分発の森林公園行で東松山へ。

 

その折り返しを待ち、東松山から一気に南下する。Fライナー快速急行の元町・中華街行である。かつて東上線の地下鉄直通といえば普通列車ばかりだったが、いつの間にか優等種別を掲げる便が増えた。

 

せっかく綺麗な日が出ていたので、上板橋に寄って10000系を撮影してみた。東上線には、今なおリニューアル工事が施工されていない車両が残っている。新型車両が投入されるらしいから、彼らはこの姿で生涯を全うするのかもしれない。

私はカメラを下ろす。西日に照らされた電車が、一瞬だけその春陽をかえして走り去る。

 

おわり

伯備、先駆けの春に(3)

初回

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前回

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2026年2月23日(日)

 

 

早朝の新見は静まり返っていて、空気が山の匂いを帯びている。

高梁川を渡ると赤い屋根の駅舎が見えてくる。

改札で切符を見せて構内に入る。改めて手元の紙切れ見ると、しわが寄って、角が剝がれてきた。

 

6時45分発の上りは7両編成だった。
播州赤穂行の3両と岡山止の4両をつないでいる。

この線にこんな長い列車が残っていたのかと驚く。各地のローカル線は合理化が進み、短い編成ばかりになった。

空いている車内が小さく揺れて、やがてゆっくり動き出す。黄色い115系は低く唸るようなモーター音を響かせ、朝霧を切り裂いて走る。

 

8時ちょうどに倉敷で下車。
南口に出るとバスのロータリーがあり、そこから片側2車線の中央通りが延びている。
その通りを10分ほど歩く。
大いに栄えているこの街だが、休日の朝はまだ静かである。

 

途中で道を曲がると、突然、古い街並みに出る。
倉敷美観地区と呼ばれる一角である。
江戸時代の建物をそのまま使った宿や店が軒を連ねている。

 

その中央には倉敷川が流れており、白鳥がじっと佇んでいた。

ここにはただ穏やかな時間が流れていて、あの近代的なターミナル駅から歩いて来られる場所だということを忘れてしまう。

 

かつての村役場を利用した建物には行列ができている。

観光遊覧船のチケット売り場だという。

せっかく朝から来たので、我々も並んでみる。

9時から販売が始まり、10時30分発の船を取ることができた。

 

それまで時間があるので、「おざきや」という菓子店に入った。店内は案外贅沢な造りで、席から庭を眺めることができる。
我々はきびだんごと銘菓むらすゞめ、ソフトクリーム、抹茶のセットを頼む。
和菓子の甘さと抹茶の苦みは、いつでもよく調和している。

 

辺りを少し歩いてから、時間に合わせて船着場へ戻る。
笠を受け取って頭に乗せ、そっと舟に乗り込む。
小さな舟だから、片足をつくだけで揺れる。

 

6人の定員が揃うと、船頭が艪を押しながら穏やかに話を始める。

この街が美しく見えるのは、白いなまこ壁だけではなく、丸瓦と平瓦を交互に葺いた屋根が重厚さを出しているからだという。

 

紡績で栄えたこの地区は、美観だけでなく機能的でもある。
川へ下る石段は荷下ろし場で、そばに立つ大木は舟を係留するためのものだそうだ。

 

舟は歩くより遅い速度で進むから、細部がよく見える。
川面には無数の小魚が群れていた。

20分ほどの短い乗船時間だが鮮明に焼き付いた。

 

陸に上がり、特に大きな荷下ろし場へ行ってみる。
船頭によれば、ここは紡績工場とつながっていて、大八車が通れるよう石畳が敷かれているのだという。その道をたどってみることにした。

 

石畳は川辺の道を横切り、店の間を分け入るように続く。

 

やがて本当に紡績所の跡地へと至った。ここは現在では観光客向けの宿泊施設となっているようである。

 

さて、散策を終えて駅に戻ってきた。11時44分発の岡山行は新型の227系が来た。2両だから激しく混んでいた。私が連れに混雑を嘆いていたら、近くにいた地元の親父さんが声をかけてきた。

「倉敷でたくさん乗るからこの区間だけ混むんだよ」

私が

「途中でもう1本電車をつなげばいいのに」

と言ったら

「JRがそんな器用なことしないよ」

と苦笑した。

 

岡山で上り電車に乗り換える。

12時13分発の相生行は115系の3両編成で、ここでは座ることができた。

相生で乗り換え、13時40分に姫路で下車。

 

北口に出ると、道の彼方に白い大きな建物が見える。
白鷺にたとえられる姫路城の天守である。
我々はそのまま真っ直ぐ歩いた。

 

堀を渡って城内へ入る。
この城は姫山の上に築かれていて、天守に着くまで急坂を登らなければならない。

 

石垣は険しく、無数の挟間がこちらを見下ろしている。
難攻不落といわれる理由がよく分かる。

 

靴を履き替えて天守に入る。石垣に覆われ暗い地階を見回すと、流し台が目につく。

内部も戦への備えが抜かりない。

昨日訪れた松江城とは違い、姫路城には天守を貫く大きな柱が二本通っている。
手で触れると乾いて筋張っているが、確かな質量がある。

 

急な階段を上り、最上階へ出る。
駅から城が見えるということは、ここから駅も見えるということである。
その間をまっすぐに貫く大手前通りは、戦後の復興で計画されたものだという。

順路に沿って外へ出ると、天守前の広場に出た。
見上げると、端正で、どこか冷たいほどに整っている。

 

城内には「播州皿屋敷」で、お菊が投げ込まれたという井戸が残っている。
覗き込むと底が見えず、壁に少しだけ草が生えていた。

 

さて、腹が減った。
城の外に出て、目の前の喫茶店「ミラノ」に入る。

新しそうな建物だが、店の中には香ばしい匂いが満ちている。
姫路名物だというアーモンドトーストを頼んだ。
お母さんが笑顔で運んできた薄いパンに、甘い味がよく染みていた。

 

それでもまだ足りず、駅に戻って「えきそば」を食べる。和風だしに中華麺を入れた珍しい形で、姫路駅の名物である。新幹線の時間が近いから急いでかきこむ。

 

16時48分発のこだま854号に飛び乗る。500系が来た。
かつての英雄も、いまは編成を短くされ、西の端で細々と走っている。

のぞみの通過待ちをしてから動き出す。
窓の外で日が傾いていた。

 

17時25分に新大阪着。30分発ののぞみ40号に乗り換える。

帰りは慌ただしかったが、席に座るとようやく落ち着いた。

京都を出るころには、外はすっかり暗い。
三連休の終わりの新幹線には、終末の気配が漂っている。

東京駅で連れと別れ、ひとりで乗り換えて帰る。

明日も仕事がある。
風呂に入り、定期入れをスーツに付け替える。

中には定期券と、草臥れた往復乗車券がまだ入っている。

 

 

おわり

伯備、先駆けの春に(2)

初回

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2026年2月22日(日)

 

 

眠い目を擦りながら風呂へ行く。今朝も貸切だったから、暖房に乾いた身体を、ゆっくりと湯へ沈める。

部屋に戻り窓を開ける。湿り気を帯びた空気が山の匂いを運んでくる。どこかで鳥が絶えず鳴いている。温泉街の朝は、まだ人の気配が薄い。

 

朝食は7時半に宿に頼んでいた。

老舗旅館の仕出し弁当に、しじみの味噌汁。そして島根産の米を好きなだけよそうことができる。

「たくさん頂きます」

と私が言うと、宿の親父さんが笑って言った。

「若いっていいね」

どれもほろ甘い味付けで、朝から箸が進む。特に卵焼きの柔らかな甘みが絶品である。

 

荷物をまとめて宿を出る。8時50分発のバスは幾人もの客を乗せて、温泉街を離れていった。

 

玉造温泉駅に着くと、あとから来た客たちが次々に列を作る。9時15分発の米子行は新型のキハ126系だった。ここですべての座席が埋まり、それなりの乗車率で動き出す。

 

10分足らずで松江に着いた。

 

北口のロータリーに出て、市営バスの観光路線である松江レイクラインに乗る。やがて乗客は増え、車内はすっかり混みあった。9時30分発。

道中何台もの右翼街宣車とすれ違う。明治政府が竹島の編入を公示した日にちなんで2月22日は「竹島の日」とされており、街では何人もの警察官が警備にあたっていた。

 

その影響もあってか少しだけ渋滞に巻き込まれたが、10分ほどで国宝松江城大手前停留所に着いた。バスを降りると、今日も春めいた風が吹いていた。堀に沿って歩いていくと、石垣の上に黒い天守が見えてくる。

 

それに近づいて行くと、途中にいくつも階段や上り坂があって、ふと振り返れば松江の街が遠くに見える。この天守は亀田山という丘の上に立っている。石垣の下に立つと、外側に張り出した石落としが威圧的である。

 

そしてその頂に立つと、1611年に建てられたという天守が出迎えてくれる。湿度が高い松江の気候に耐えられるように渋柿や煤を混ぜた漆が塗られているから、この黒い色になるのだという。屋根が曲線を描き四隅に羽を広げているように見えるから、別名「千鳥城」とも呼ばれている。

 

入城するとまず目につくのが井戸である。籠城戦に備えて設けられたのだという。中を覗くと足がすくむほどの深さである。城内にこれほど立派な井戸があるというのは異質な感じがする。

ここは地階と呼ばれる最も下の階層にあたる。薄暗い部屋を見回すと、真新しい板が柱にかけられているのも目を引く。この場所に掛かっていた祈祷札のレプリカだという。札には松江城の築城年が書かれていたことから、この城の起源を示す重要な証拠とされている。

ここから狭く急な階段を上がっていくと、石落としや挟間についても内部から見ることができる。

 

やがて最上階に来た。荒々しい印象の松江城において、天狗の間と呼ばれるこの階層はどこか優美な感じがする。眼下には松江の街が一望できる。宍道湖の向こうに玉造が見えて、その彼方の陸地が出雲である。南を見ると整然たる城下町が見えてこちらも美しい。

 

再び急な階段を下りて城の外に出た。そのまま堀に沿って歩く。

 

やがて伝統的な街並みを残す一角に入る。塩見縄手と呼ばれる場所である。

ここは怪談で知られる作家、小泉八雲が来日当初に生活していた街でもあり、記念館が建てられている。内部には八雲の生涯に合わせて彼が身に着けていた私物などが展示されている。

特に印象的だった展示がある。「ヘルン言葉」である。40歳の時に来日した八雲は、文法を平易にした独自の日本語を使用していた。例えば妻に宛てた手紙には「コンニチ・アサ・ウミ・二・オヨギマシタ・ノクイ・デシタ」と書いてあり、これは海で泳いだら温かったという意味である。妻セツとの手紙には、静かな優しさが満ちていて、互いに不遇な過去を持つ二人の、信頼のようなものが感じられる。

 

記念館に隣接して八雲の旧居も保存されている。八雲はこの純和風の住まいをたいそう気に入ったそうである。

 

縁側に腰を下ろすと私も思わず安堵する。時の谷間が来て、庭を眺めてみる。この庭に出る蛇が、池の蛙を捕食しているのを見て心を痛めた八雲は、庭に食肉と、代わりに蛙を食べないようにという手紙を置いたのだという。

 

さて、外に出れば、気づけば正午をまわっている。連れが甘味を食べたいというので、名物だという「ぼてぼて茶」を飲んでみる。泡立てたお茶に米や豆、漬物などを混ぜて飲む。茶の渋みと具材の旨味が独特な調和を生み出す。しかしこれは甘くはなかった。

甘味を求めてさらに歩みを進める。

 

遊覧船乗り場に隣接するカフェに入ってみる。私は松江の苺と大山白バラ牛乳を使ったいちごミルクを頼んでみた。連れは出雲発祥の甘味であるぜんざいを頼んでいた。このぜんざいは塩味が効いて美味かった。

 

さらに歩くと城の周りを一周する形になる。県庁の中に竹島資料室というものがあるので入ってみる。入口の門では警察官が警戒に当たっていたが、会釈をすると穏やかに応じてくれた。

 

ここでは竹島に関する資料や歴史的経緯をまとめた展示をしている。列車の時間があるから、あいにくこれらの資料を詳しく読み込む時間がないのが残念である。この後は松江大橋を経由して松江駅へ戻る予定である。

 

竹島資料室から松江大橋へ歩いている道中に、見慣れた肉が置いてあるのが見える。

 

近づいてみると「はじめ人間ギャートルズ」をモチーフにした広場であった。「なんにもない~なんにもない~」の曲をピアノで弾いた音源が流れている。作者が松江の出身なのだという。

 

そのすぐ近くに松江大橋がある。小泉八雲が散歩をしているとき、ここで朝日に手を合わせる市民を見て神道の概念に触れたという。後に八雲は、西洋から見下されていた日本文化を擁護するようになる。

さて、この橋は当時のものからは架け替えられているが、1937年に架けられたという現行の17代目も、リベットが光る鉄骨と石の欄干が武骨で美しい。

 

そのまま15分ほど歩いて松江駅まで戻ってきた。

 

前日に出雲大社前駅で買ったバラパンというパンを食べてみる。これは島根のご当地パンで、薄い食パンが薔薇のように巻かれている。中にはクリームが入っているが、素朴な味わいで美味い。

 

食べ終えるころに列車が入って来た。14時34分発の米子行である。中海という大きな湖の沿岸を30分ほど走って米子に着く。

 

ここでは接続待ちが1時間ほどあるので、構内の売店で土産などを買った。

北口のエスカレーターに乗ったら、注意喚起の放送が米子弁だった。

 

ここから新見行に乗る。米子と縁深いバンドであるOfficial髭男dismの「Pretender」をアレンジした発車メロディが流れて、2両の短い115系が力強く動き出す。16時13分発。

 

伯耆大山を出ると列車は大きく曲線をなぞって伯備線に入る。ここで左に見える大山の雄姿が見どころである。米子駅で買った梨のジュースの爽やかな酸味と紐づいて心に残る車窓であった。

 

途中の根雨で特急の通過待ちのため、16時55分から16分間停車する。その間に外に出てみる。

さて、この伯備線北部を走る115系G編成は、岡山方はごく普通の顔だが、出雲方は平べったい変な形の顔をしている。これはかつて編成の中間にあった車両に運転台を後付けしたためである。この奇妙な車両も今年3月のダイヤ改正で引退するらしい。見た目は変でも走行機器や車内設備は国鉄時代の面影を色濃く残しており、個人的には好きな車両だったから残念である。

 

18時10分に新見に着いた。辺りはすっかり暗くなってしまった。

 

駅前の食堂「味の庄伯備」で夕食とする。

 

松江で列車を待っている間に予約をしておいたら、二人にしては広すぎる座敷に通された。

我々は鯖寿司と猪ラーメンを頼んだ。海から遠い新見では、保存のために鯖を酢できつく締めてある。シャリにはもち米が混ざっていて、かなり食べ応えがある。

猪のチャーシューを使ったラーメンも風味が濃い。冬の中国山地ならではの味覚である。

 

駅や食堂から高梁川を挟んで対岸にある「グランドホテルみよしや」で一泊。ごく普通のビジネスホテルである。

連れが新見の街を歩きたいというので、荷物を置いて繰り出した。暗いから星が綺麗かと思って見上げたら、曇っていてよく見えなかった。

それでも、川のせせらぎと山の風だけはいつでも澄んでいる。私はこの街が好きである。

 

 

つづく

伯備、先駆けの春に(1)

2026年2月20日(金)

 

終業の鐘が鳴る。さっさと帰ろうとしていたら、上司の一声に引き留められる。

顔だけ笑って応じているが、私の心はすでに旅路にある。オフィスを出るころにはすっかり日が沈んでいた。

自宅に戻って身支度を調える。最寄り駅でこの旅の同行者である職場の同期と落ち合う。互いに浮足立ちながらJRを乗り継ぎ、20時50分の東京駅に降り立つ。

 

コンコースの駅弁屋で夕食を選び、9番線のベンチに腰を下ろす。夜風が頬をなでる。雑踏が身体を包む。我々はただ夜汽車を待つ。

 

21時25分にその列車が入線する。寝台特急「サンライズ出雲」は、東京と出雲を結ぶ夜行列車である。途中の岡山までは琴平行の「サンライズ瀬戸」と併結して走る。

 

自席に荷物を置いて先頭車両に来てみた。子連れや外国人が楽しそうに写真撮影をしている。その高揚が大人の男に伝染して、私はホームの売店でレモンサワーを一本買う。

 

21時50分、列車は定刻通りに動き出す。今夜の部屋はB寝台の小さな個室である。部屋の照明を落とすと東京の夜景が流れる。先ほど買った駅弁「輪島朝市弁当」と酒を開ける。濃い味付けの魚介が出汁の染みたご飯とよく合う。

揺れに身を任せていると最初の停車駅である横浜に止まる。その少し先まで街の灯りが続き、やがて暗闇だが空には星がよく見える。その次は熱海に止まり、丹那トンネルを抜けて沼津、富士と止まる。ここでは工場の灯りが幻想的である。

 

この狭い部屋で語らう声も自然と落ち着いてきた。明日の行程を思い、そろそろ寝ることにした。デッキで歯を磨いていると、0時18分、静岡駅に着いた。ドアが開いて冷たい空気が入ってくる。すぐに閉まって再び闇に走り出す。私は自室に戻って横になる。揺れに紛れて意識が途切れる。

 

2026年2月21日(土)

 

姫路の手前で一度目を覚まし、また眠る。岡山の手前で再び目が覚めた。揺れる車内で身支度を整え、連れの部屋を訪ねる。

 

6時27分に岡山着。ここで「瀬戸」と切り離される。前方の瀬戸は、解結後そのまま走り去るから、切り離しの様子を見届けられるのは、出雲へ向かう者だけの特権だ。

 

身軽になった出雲は、倉敷を経て伯備線へ入る。単線が山間を縫い、低く垂れこめた雲が稜線をなぞってそこに流れ込む。列車は定尺レールの規則正しいリズムを響かせる。

 

新見を過ぎて数駅進むとやがて鳥取県へ入る。ここが太平洋側と日本海側を分かつ分水嶺でもある。二月とは思えぬ陽気が続いていたが、山の陰にはなお残雪があった。

 

列車はそのまま駆け下りて日本海側へ出る。米子、安来、松江と止まり、右手に広がる水面は宍道湖である。朝の光を受けて静かに揺れている。

 

10時00分、定刻通り出雲市着。春の匂いが混じる陽気である。

 

一畑電車の電鉄出雲市駅まで歩く。食堂のような券売機で切符を買い、改札で入鋏してもらいホームに上がる。10時25分発の出雲大社前行きに腰掛けると懐かしさがこみ上げる。この車両はかつて東急東横線で走っていた車両である。ほどなく席が埋まり、かつてのような満員状態で駅を出る。当時と変わらぬ独特な電子音を奏でて走る。

 

途中の川跡でスイッチバックをして、20分ほどで出雲大社前駅に着いた。1930年築のこの駅舎は、当時の地方私鉄としては珍しく洋風の鉄筋コンクリート造である。中から見ると、ステンドグラスがやわらかな光を落としている。

 

駅を出て右へ進むと、緩やかな上り坂になっていて、そのまま出雲大社の境内へつながる。道中ではすでにいくつかの店が開いていて賑わっている。

 

我々はこの参道を途中で外れて、静かな住宅街を抜けて海へ向かう。

 

道中で名物の出雲蕎麦の店を見つけたので入ってみた。

空いているのかと思ったら、名簿に名前を書いて待つようである。店員が「三十分後くらいに呼べます」というので、名前を書いて海に向かった。

 

手持無沙汰ですぐに店に戻った。やがてほどなく席へ通された。店内には観光客よりも地元住民らしき姿が目立つ。

 

我々は二段の割子そばと親子丼のセットを頼んだ。割子そばはこの地域に伝わる独特な蕎麦で、上段に薬味と出汁を注ぎ、食べ終えたら残りを下段へ移していく。甘い出汁に薬味の辛味が溶け、滋味深い。対照的に親子丼は輪郭のはっきりした味わいで、細切れの鶏肉に旨味がよく染みている。

私が連れに蕎麦湯の美味さを説いていたら、店員の女性がおかわりをくれた。

 

食後は再び海に来た。稲佐の浜と呼ばれるこの浜は、日本神話上のいわゆる「国譲り神話」の舞台となった場所である。

 

また、八百万の神を出雲に迎える場所であるとされるこの浜の砂は縁起物で、袋に入れて出雲大社へ運んで納め、その場にある砂と交換するという珍しい風習がある。

 

そんな神々が通行するという道をたどって出雲大社へ行ってみる。

 

20分ほどで境内にたどり着く。落ち着きあるこの建物は神楽殿と呼ばれる。巨大なしめ縄が特に目を引く。

 

その先に八足門がある。この奥に本殿があるが、通常は入れないようである。しかし1667年に建てられたというこの門だけでも見ごたえがあり、特に細かい彫刻が優美である。

 

帰りは駅前の参道を歩いていく。正門にある鳥居に向けて坂を上っていく。つまり本堂に向かって下り坂になっている珍しい造りである。

 

「因幡の白兎」の神話にちなんで、道中にはうさぎの像が点在する。

 

出雲大社前駅に戻ってきた。ここではデハニ52号という電車が保存されている。

 

内壁から窓枠、その鎧戸に至るまで木製で、非常に古めかしい匂いが残っている。

 

さて、15時20分発で出雲市駅へ戻る。帰りも元東急の車両だった。

 

出雲市で乗り換えて16時07分発の米子行に乗る。車両は国鉄型のキハ47形が来た。

 

「ヨンナナ」は重い車体を揺らしながら、夕暮れの宍道湖沿いを進む。柔らかなボックスシートに身を沈めると、思わず眠気が忍び寄る。16時51分に玉造温泉で下車。

 

この日はここで泊まることにした。駅前には各宿の送迎バスが止まっていた。係の職員に名前を告げると、自分がどのバスに乗るべきか教えてくれた。

 

10分ほどで我々が泊まる「ゲストハウス翠鳩の巣」に着いた。戸を開けると、家庭的な落ち着きのあるロビーが迎えてくれる。

 

ゲストハウスだが個室もあり、設備としては旅館の水準である。荷物を置いて温泉街へ出る。

 

玉造の温泉街は、中心を流れる玉湯川に沿って形成されている。そのほとりには「川辺の足湯」という場所があり、川を眺めながら足を湯に浸たすことができる。

源泉付近に足を入れるとかなり熱くて、すこし離れた場所に移動する。

 

夕暮れの中でせせらぐ川の様子を眺めながらの足湯は別格である。水や草の揺れを見ていたら、つい長湯してしまった。

 

そのさらに奥の広場では温泉を汲んで持ち帰ることができる。湯には保湿効果があるというので、私も小瓶に分けてもらった。

 

すっかり夕刻である。宿の方へ戻り、川に背を向け坂を上がると、若竹寿しという店がある。時刻は18時前だが店内は賑わっており、特別に2階の座敷に入れてくれた。

 

松江にある蔵元のものだという「李白」という日本酒を頼む。鋭さのなかに芳醇な香りが立って美味い酒であった。下戸の連れも一口飲んで美味いと言っていたが、表情は険しかった。

 

店の名物の「プレミアム海鮮丼」は、立体的に盛られた華やかな一杯。マグロ、ウニ、ウナギ、そして山陰の地魚など、大盛だが新鮮で飽きが来ない。最後はしじみの味噌汁を啜って箸を置く。

 

店を出ると辺りはすっかり暗くなっていて、温かな照明だけがこの街を淡く照らしていた。

 

灯りの谷間で見上げる空に、冬の大三角が凛として輝いていた。

 

昼は暖かかったが夜気は鋭い。宿に戻って湯に浸かる。私が入ったら他の客は出たから、全身で大いに浸かる。小ぶりな浴槽には満ちた濃い湯が、肌を包んで芯まで染みる。湯から上がっても潤いを帯びている。部屋に戻って連れと何か話していたが、私はいつの間にか眠りに落ちていた。

 

つづく

富山の鉄路を乗りつくす(5)

初回

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前回

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2025年12月31日(水)

 

 

荷物をすべてまとめてホテルを出る。私が先日から泊まっているこのウィークリーホテルは、不二越線の栄町駅にも歩いて行ける場所にある。
栄町は、2019年に開業した地鉄で最も新しい駅だ。駅舎もトイレもなく、細いスロープを上がって直接ホームに出るだけの簡素な造りである。

 

6時33分発の下り岩峅寺行に乗る。

私は今日の昼過ぎの新幹線で帰る予定である。したがって遠出はせず、富山市内の電車をめぐっていくことにする。

 

南富山で下車した。ここは地鉄の鉄道線と軌道線が接続する駅で、鉄道線のホームの脇から、ひっそりと市内電車が発着している。役割の異なる乗り物が、無理なくひとつの場所に収まっている構造には、箱庭を覗き込んでいるような楽しさを覚える。

朝焼けの駅を眺めていると、緑とクリームの金太郎塗りの電車が駅に入ってきた。デ7000形というこの車両は、市内電車の中で最も古参の形式である。6時58分発。

 

乗客は私ひとりだった。
小さな路面電車は、小雨の残る古い駅をこっそり抜け出し、朝の光に包まれ始めた住宅街を走る。釣りかけモーターの甲高い音とともに、床下からオイルの匂いが立ちのぼる。

途中の小さな電停で、地元の人を少しずつ拾いながら進み、富山駅ですべての乗客が入れ替わる。電車はスイッチバックして、そのまま富山大学方面へ向かう。

 

7時36分、富山大学前に着いた。
ここまで続いてきた軌道は、公園の木々に囲まれながら、断崖のごとく唐突に終わる。路面電車の終点には独特の情趣があり、それは簡素であればあるほどいい。

このまま39分発の折り返しに乗る。車内には富大生と思われる若い乗客が多かった。

 

富山駅に戻り、駅を突き抜けて北へ向かう富山港線に乗り換える。この路線はかつてはJRが運営していたが、2006年にLRTへ転換され、市内電車と一体的に運行されている。7時59分発、岩瀬浜行。

 

近未来的なLRVが堅固な専用軌道を走る。低床構造で目線が低いから、実際の速度以上に速く感じる。

 

20分ほど乗って東岩瀬で下車。この電停には、JR時代の木造駅舎が残されており、琺瑯製の駅名看板もそのままである。

 

JR時代のホームから現行のLRVを見ると、その小ささが際立つ。

 

後続の8時36分発で終点の岩瀬浜に着いた。
ここでは小型バスに対面で乗り換えることができ、フィーダー交通が成立している。人口減少社会のなかで模索される持続的な公共交通の実現という課題に対する、ひとつの解が示されているのである。

 

そこからまた20分あまり乗って富山駅に戻ってきた。デ7000形が止まっていたのでこれに乗った。

 

やはり、個人的にはこの旧来の路面電車の方が強く惹かれる。古い単車だから、床下からは多くの機械音が聴こえてくる。その音の隙間を縫うように、やさしい声の自動放送が、次の電停と短い広告を読み上げる。この小さな車体の中に、鉄道車両としての要素が凝縮されているのである。

 

南富山の2つ手前にある堀川小泉で下車してみた。

 

そのまま南富山方面へ歩いていく。
先ほどは眠っていたこの街も、すでに活動を始めている。あいにくの天気だが、立山連峰が低く雲間から顔を覗かせている。

 

堀川小泉と南富山の間にある大町電停から電車に乗り、富山駅方面へ戻る。

 

再度そのまま大学方面へ直通し、富山大学前の一つ手前にあるトヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)電停で下車。これは日本一長い駅名として知られ、実に25字にも及ぶ。

 

電停のホームからは神通川に架かる富山大橋を走る市電を撮影することができる。晴れていれば立山連峰が映えるようである。

 

10時17分発の電車で引き返す。

 

富山駅に戻ってくるころには、雨が強まってきた。デ7000形と低床電車は既に乗ったので、まだ乗れていないデ8000形を待ってみる。10時52分発の富山大学前行でその車両が来た。軽快な車体の電車が、進行方向を変えてゆっくり動き出す。VVVFインバータ制御特有の電子音が心地よい。

 

終点の3つ手前にある諏訪川原で降りてみた。

 

そこからひとつ先の安野屋電停まで歩いた。この電停は、先ほど降りたトヨタモビリティ前の対岸にある。ここから折り返して電車に乗り富山駅へ戻った。

 

本来は富山駅周辺や市内電車沿線で昼食を取りたかったが、多くの店が年末休業中か、満員で長蛇の列であった。仕方がないので再び富山港線で郊外へ出ることにした。

 

6駅先に粟島という電停がある。この電停はこの旅で何度か利用している大阪屋ショップの店舗と直結している。雨を避けながらこのスーパーで食料を仕入れ、12時ちょうど発で富山駅方面へ折り返す。

 

この電車は富山駅に定刻よりも早着した。急げば予定より1本早い黒部行に間に合う。他の乗客らとともに慌てて駆け込み、富山12時15分発。

 

12時45分に黒部着。雨はさらに強まってきた。ここから20分あまり歩いて富山地鉄電鉄石田駅へ向かう。

 

風も吹いてきた。冷たい雨が折り畳み傘の内側に吹き込んで体温を奪う。

 

びしょ濡れになって電鉄石田駅に着いた。モルタル木造の駅舎は、地鉄としては比較的モダンだが、軽薄さはない。突き出した車寄せには小さなタイルが規則正しく貼られ、重厚で引き締まった印象を与える。

 

駅舎に入ると、不思議と温かく感じられた。
いつのものかも分からない、古いデザインのサーカス興行の広告が残っている。

 

石積みの小さなホームに電車が入ってくる。13時58分発の宇奈月温泉行である。

 

新黒部で降りて北陸新幹線の黒部宇奈月温泉へ向かう。両駅の間は屋根の付いた通路でつながっており、乗り換えは円滑である。

 

高架ホームに上がると、日本海立山連峰を望むことができる。これほど眺めのいい新幹線駅も珍しい。名残惜しくてずっと眺めた。

 

14時34分発のはくたか566号東京行が猛スピードで入線し、ぴたりと停止した。車内は年末の帰省ラッシュで満席であった。

勾配に強いE7系新幹線は力強く加速し、すぐに巡航速度に達する。

 

そのままトンネルを駆け抜けると、雨は上がり、虹がかかっていた。私は先ほど大阪屋ショップで買った鱒寿司を開けた。

糸魚川上越妙高、長野と雪山を貫く安中榛名を通過していくつかトンネルを抜けると、見慣れた関東平野の家々が、夕日に照らされている。そこから次第に都市の色が濃くなっていく。

東京駅で在来線に乗り換える。ここにもまた、年の瀬の浮ついた空気が漂っていた。私は、土産で重い肩の荷と共に、実家へ帰った。

 

おわり

富山の鉄路を乗りつくす(4)

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2025年12月30日(火)

 

冬は日が短いから、早く寝ると必然的に目覚めも早くなる。この日も4時過ぎに目が覚め、小雨の中を歩いて稲荷町駅に向かった。

構内では、まだ始発列車の準備が行われているところだった。濡れた車体が照明を受けて艶やかに光り、電車たちが静かに入れ替えられていく。鉄道が始動する前の、わずかな緊張感と静けさが駅を満たしている。

 

地鉄2日目となる今日は、前日に行けなかった立山方面を重点的にめぐることにした。

6時ちょうどの立山行の始発は元京阪の10030形。車内は貸切状態であった。

 

6時50分、立山の3つ手前にある千垣で下車した。岩峅寺から先の立山線は、いきなり雪深くなる。県道より少し低い位置にあるこの小さな木造駅舎は、雪に埋もれてしまったような印象を受ける。すぐ脇を車が通るたび、頼りない板ガラスが音を立てて揺れる。

 

雨が上がったから周囲を歩いてみる。県道を横断して旧道に入ると、道端に石仏がひっそりと置いてある。深く苔むしているが、小さな花が供えられている。その周囲には、数件の民家があるだけである。

思わず見つめていたら、いきなり町のチャイムが鳴り現実に引き戻される。7時である。山の反響に耳を澄ませてみると、曲は「浜辺の歌」であった。権利の都合なのかもしれないが、選曲にもう少し工夫を見せてほしいものである。

 

再び雨が降ってきたから急いで駅に戻ってきた。ホームから線路を見下ろす。路盤から逃げたバラストの隙間に水が溜まって、木製の枕木が完全に浸かってしまっている。

ここは、山に吞み込まれた静寂の駅である。

 

先ほどの列車が折り返してきたのでこれに乗る。7時38分発の電鉄富山行である。旧型車両の温かい車内で、かじかんだ指先が解けていく。

 

1つ戻って横江で降りる。ここにも古い木造駅舎がある。

 

県道を少し歩くと「立山サンダーバード」というコンビニが営業している。知る人ぞ知る当地の名物コンビニである。さっそく入ってみる。

商品が所狭しと並んでいる。棚を眺めていると、特異な商品がちらほら目に入る。中でもおにぎりは特徴的で、ツキノワグマとかワニの肉を使った珍しいものも置いてある。

 

私は「黒部ポーク」「立山牛」「なまず」とやや保守的な選択をした。駅に戻ってひとりで貪り食った。どれも美味い。なまずはそぼろのような食感で、川魚らしい独特な風味があった。

 

食べ終えて改めて駅舎を見る。照明もついておらず薄暗いが、朝の淡い光が木の質感を浮かび上がらせる。

ここはとても寒く、外にいるよりはましという程度である。耐えかねてその場で足踏みする。コンクリートの乾いた音だけが反響する。

この駅舎は古い建物で朽ちている箇所も目立つが、これほどの境地に達するとむしろ清潔な感じがする。

 

ようやく下りが来た。9時01分発の立山行である。スキー板を担いだ乗客がたくさん乗っていた。冬の立山線末端区間では、この列車を逃すと次の下りまで5時間以上空いてしまう。

 

立山の一つ手前にある本宮で下車。私の他にも外国人2人が降りた。ここは他の駅とは印象が異なり、高台にあるスタイリッシュな駅舎を構えている。

 

内部は古い学校のような感じで、床に軽やかな木板が敷かれている。

 

9時41分発の上りに乗る。朝の上りもこれが最後である。このまま岩峅寺を抜けて市街地へ戻るしかない。

 

10時04分に下段で下車。久々に人の気配がする街である。この辺りはさすがに格好をつけていて、一部分だけ外壁が再整備されている。

次の列車まで時間が空くので、ここでも隣の駅まで歩いてみる。

 

用水に沿って歩くと田園の中に新しいの家々が点在している。途中にご当地チェーンの「大阪屋ショップ」があったので、ここでも鱒寿司を買った。

 

20分ほど歩いて隣の榎町駅に来た。

 

駅舎も古いが、木組みの屋根と石積みのホームの素朴な味わいが素敵である。11時08分発の上りに乗る。

 

2つ戻って田添で下車。駅舎もなく簡素な駅である。特別惹かれた駅というわけではなく、ダイヤの都合で降りてみた。田園の中に佇む小さな駅だが、近くを高速道路が走っているから意外と喧しい。こうした偶然の出会いもまた旅の一幕である。

 

11時23分発の下りで4つ進んで釜ヶ淵で下車。

ここも古い木造駅だが、どこか洋風の雰囲気を纏った洒落た駅舎である。地元団体による美化活動が行われているようで、内部は丁寧に清掃されている。

駅前の民家からは、年の瀬に親族が集う楽しげな声が聞こえてくる。

 

ここでも次の便まで時間が空くから隣の駅まで歩く。駅前を抜けて県道に出ると、周囲にはすぐに田園が開けてくる。

 

途中で旧道に逸れて、駅前の小さな道に入る。ここにも用水が走っていて、岸は石積みで護られている。

 

合わせて20分ほど歩いて隣の沢中山駅に着いた。ここも駅舎のない小さな駅である。

 

12時34分発の下りで岩峅寺まで進む。

 

岩峅寺で上滝線に乗り換え、上堀で下車。

 

市街地を走る印象の強い不二越・上滝線にも古い駅舎は多い。ここ上堀は、三方に軒をめぐらしたスタイルで風格がある。内部も古いまま綺麗に維持されており、この路線は侮れない。

 

13時11分発の上りに乗る。

 

3つ戻って開発で下車。この駅も上堀と似たスタイルだが、やや軽い印象を受ける。

 

13時56分発の上りに乗る。よく見るとこの駅は、かつては交換可能駅だったようである。線路一本分置いて少し離れた駅舎が寂しい。

 

車内では、下段の大阪屋ショップで買った鱒寿司を食べてみた。これは薬味が別添えだから、何もつけずに食べると野性味が際立つ。

 

稲荷町で本線に乗り換える。14時23分の岩峅寺行。

 

立山線の列車も合流する本線の寺田以西は、地鉄で最も本数の多い区間である。そんな区間の只中にある東新庄駅で降りてみた。菱形の巨大な屋根が印象的な駅舎である。

 

屋根やベンチを備えた立派なホームを完備しており、他の古駅舎たちとは一線を画す。

後続の14時37分発の宇奈月温泉行に乗る。

 

寺田を過ぎて相ノ木で下車。ここもダイヤの都合で降りてみた。出入口の通路が非常に狭く、外からでは場所が分かりづらい不思議な構造をしている。

 

15時03分発の上りで少し戻る。

 

越中三郷で下車。かなり古風な意匠を維持しつつ、近年のリニューアルで小奇麗になっている。アルミサッシの窓が、細い木枠を模したデザインになっているのも配慮がある。

 

ここから15時43分の宇奈月温泉行で、一気に下っていく。久々の長距離乗車となるが、残念ながら東急車が来た。

 

約1時間に渡り硬いベンチシートに揺られ、新黒部の一つ先にある舌山で降りた。

ここも古い木造駅舎で、淡い緑に塗られた独特な風貌をしている。すぐ近くにある新黒部とは対照的に、周囲は開けていて静かである。

 

17時06分発の上りで稲荷町に戻る。発車するとすぐに日が暮れて闇に包まれた。

黒い車窓に、この2日間の地鉄の風景が次々と映る。赤字経営が続き、再構築の議論が進む地鉄各線であるが、最も実の熟れた状態をめぐることができたのは幸運だったと思った。

 

つづく

富山の鉄路を乗りつくす(3)

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2025年12月29日

 

今朝も早起きして、5時40分に稲荷町駅へ向かった。今日と明日は富山地方鉄道を中心に巡る予定である。事前に細かい行程を決めていたわけではないが、本数の少ない立山方面は早めに行っておきたい、という方針は立てていた。

 

下りホームで電車を待っていると、反対側の上り線にお目当てだった赤い車体が滑り込んできた。思わず「来てしまった」と思った。慌てて地下通路を駆け下り、そのまま電車に飛び乗った。5時54分、稲荷町発。

 

すぐに電鉄富山に到着。この車両は、元西武鉄道5000系「レッドアロー」を改造した16010形である。富山地方鉄道には2編成しか在籍しておらず、運用に就く機会も限られている。以前からぜひ一度乗りたいと思っていた車両だが、ようやく縁が巡ってきた。

 

しばらくホームで眺めていると、隣のホームにもう1本の16010形が入線してきた。わずか2編成しか存在しない形式が並ぶ光景はかなり貴重である。早朝から胸が高鳴る。

私は左側の第1編成に乗り、宇奈月温泉を目指す。6時14分発。

 

車内は、いかにも昭和の特急電車といった雰囲気である。分厚いリクライニングシートは身体をしっかり受け止めてくれる。途中の上市で進行方向が変わり、あいの風とやま鉄道と並走しながら東へ進む。

西武5000系は引退後、後継の10000系に足回りを供出しているため、16010形は国鉄485系などの廃車発生品を組み合わせて走行機器を構成しているという。線形の良い区間で速度が上がると、国鉄特急を思わせる唸りが聞こえてくる。

 

魚津、黒部と進み、やがてあいの風とやま鉄道と離れ、地鉄本線は本格的に山へ分け入っていく。車窓の雪は次第に深くなり、屋根や法面が白く覆われていく。外は相当に冷え込んでいるはずだが、車内は暖房がよく効いている。

 

8時01分、宇奈月温泉着。すでに周辺の土産物店のいくつかは営業を始めているが、観光客の姿はまだまばらである。ここから折り返して乗るのは14760形。地鉄が自社発注した形式で、その配色から「大根電車」とも呼ばれている。

 

6駅戻って浦山で降りた。

 

ここには古い木造駅舎が残っている。今回、地鉄沿線を巡る目的は車両だけでなく、こうした駅舎を訪ねることにもある。

 

時刻表を見ると、次の列車まで少し時間がある。せっかくなので隣の駅まで歩いてみることにした。

 

道路沿いの用水を眺めながら歩くと、その上にも別の水路が走ってきて、水路同士が立体交差した。富山の水の豊かさは、何度見ても感心させられる。立山に蓄えられた水が平野を潤し、やがて海へ流れ、富山湾の豊かな漁場を育てる。

 

30分ほど歩いて下立口駅に到着した。駅舎もない小さな駅である。駅の前には大きな倉庫があり、その前で、倉庫の主らしき男性と近所の女性が世間話をしていた。

 

8時57分、宇奈月温泉から折り返してきた16010形に再び乗る。車内には意外と観光客が多い。前夜に温泉街に宿泊した人たちだろう。

 

続いて若栗駅で下車。トタン張りの小さな駅舎である。狭い室内には古い木製ベンチ、小学校で使われていそうな机、そして小さな本棚が置かれている。

 

再び宇奈月方面へ戻る。ここは線路沿いが開けていて、これから乗る電車を撮影することができる。

 

2つ隣の愛本で下車。大正期に建てられた駅舎がそのまま使われている。近くを黒部川が流れ、周囲には発電所や変電所があるが、民家は少ない。

 

駅舎の内部は清潔に保たれている。誰もいない待合室で、遠くから川の轟音だけが聞こえる。

 

ホームの脇には小さな水路が流れている。水草が冷たい水に揺られながらも懸命に生えている。

 

次の列車まで時間があるので、川の方へ足を延ばす。駅と川の間には黒部市の行政センターがあり、年末休業中だが、屋外には鉱物の展示がある。目玉は宇奈月の十字石と呼ばれる鉱物で、よく見ると確かに十字形の結晶が浮かび上がっている。私は鉱物には詳しくないが、非常に珍しいものなのだという。

 

さらに進むと、白い外壁の愛本発電所が見える。昭和初期の建築だろうか。アーチを多用した意匠が美しく、対岸からでも存在感がある。思えば黒部の鉄道は、水力発電とは切り離せない歴史を持っている。

 

さて、9時54分発の上り列車に乗る。車両は元東急の8590系が来た。最近まで首都圏を走っていた電車が、雪深い黒部川沿いを走るのは趣味的には面白いが、正直なところ、ここまで来て通勤電車に乗るのは少し複雑な気持ちになる。

 

10駅戻って東三日市で下車。ここまで戻ると山の風景は薄れ、住宅街が広がる。しかし駅舎は古く、石材の重厚な質感が印象的である。

 

駅前にある小桜精肉店という店に寄ってみた。コロッケが1個50円だったので2つ購入した。どういうわけか、富山ではコロッケが美味しい店に当たることが多い。近くには鱒寿司の売る植万という店もあり、昼食用に1本買っておいた。

 

10時48分発の下りで再び山の方へ少し戻る。車両は元京阪3000系の10030形が来た。こちらの塗装は前述の大根電車に対して、カボチャ電車と呼ばれている。新幹線と接続する新黒部の1つ手前にある長屋で降りた。

 

この駅も木造でトタン張りで、かなり朽ちた印象を受ける。すぐ近くに新黒部駅があるため、どうしてもこちらは後回しになってしまうのだろうか。

 

さて、11時17分発の上りに乗る。16010形と久々の再会である。この塗装は雪山によく映える。

 

空腹に耐えかね、東三日市で買った植万の鱒寿司を車内で食べてしまった。薬味が効いており、刺激的な味が印象的だった。

 

5駅戻って経田で下車。古い駅舎だが、外壁は綺麗にリニューアルされている。黒い瓦屋根が冬の日差しを反射している。

 

一方で内部にはほとんど手が加えられておらず、木のベンチや古い広告がそのまま残っている。

 

再び下りに乗り、電鉄黒部で降りた。

 

この駅舎は古いながらも規模が大きく、拠点駅としての風格がある。周囲には小さな商店が並び、かつての賑わいを想像させる。構内には車庫や詰所があり、地鉄本線の宇奈月方面の運行を支えている。

 

大きな上屋根がホーム全体を覆い、細い鉄骨と木材が美しく組み合わされている。

 

12時17分発の上りに乗る。

 

あいの風とやま鉄道との並走区間に入り、早月加積で下車。

 

ここも外壁のみがリニューアルされた駅である。内部は木の戸や改札、伝言板もそのまま残っている。

 

この区間では多くの利用者があいの風鉄道へ流れるため、地鉄の本数は極端に少ない。例によって隣の駅まで歩くことにする。

 

20分ほど歩いて越中中村に来た。駅舎もない小さな駅である。

 

しかしこの駅は非常に印象的だった。南には立山連峰、北には富山湾を望むことができる。爽やかな風が、屋根もないホームを吹き抜けていく。待合室には映画監督の細田守に関する資料が展示されている。この駅に降りて感銘を受け、映画の舞台として描いたようである。

 

14時19分発の下りに乗って、あいの風とやま鉄道と別れる地点にある西魚津に来た。

 

この駅も外壁だけが更新されたタイプである。

 

駅舎の中に入る。照明も少なく薄暗い。すぐ脇をあいの風の新型車両が高速で通過していくのを見ていると、ここだけ時間の流れから取り残されたような感覚になる。

 

続いて14時32分発の上りに乗る。14760形が来た。この塗装も立山連峰によく映える。

西滑川で下車。小さなトタン張りの駅舎で、壁も薄く、寒々しい印象だ。

 

20分ほど歩いて西加積に来た。ここも駅舎のない小さな駅だが、非常に古い木造の待合室がある。中には作り付けのベンチがあって、腰掛けて壁に寄りかかると、待合室全体がぎしぎしと音を立てて震える。

 

地鉄本線は駅の近くで用水を跨ぐ。木材を組み合わせた非常に素朴な橋が架けられている。

 

15時40分発の下りに乗る。

 

この駅も外壁リニューアルの駅。それでも木の質感や瓦屋根が生かされている。

 

日が傾いてきたのでそろそろ市内へ戻る。16時01分発の上りで稲荷町へ。

 

まだ明るさが残っていたので、不二越・上滝線にも足を延ばしてみる。16時56分発の岩峅寺行に乗る。観光客が多い本線とは異なり、こちらは地元客の生活路線という雰囲気が強い。

 

岩峅寺は冷たく固い雪に覆われた古い駅だった。青白い光が木造の屋根を照らす。そこに立山線の岩峅寺止まりが来て、一度留置線に引き上げてから折り返す。これに乗って稲荷町へ戻る。17時40分発。

18時14分に稲荷町に着き、アルビスで白えびコロッケを買ってホテルで食べた。

この日は徒歩移動が多く、足腰に疲労がたまった。すっかり慣れた薄いベッドですぐに寝てしまった。

 

つづく